滝口悠生『高架線』(講談社)


 インタビューのとき、時間に余裕がありそうだとする質問のひとつが、
「最近ちょっと嬉しかったことは何ですか?」

 質問は3つセットで、ほかの2問は、「いちばん古い記憶は何か?」具体的にその場の感情もふくめて話してもらうのと、「いま二番目に大切なこと、もしくは大事なものは何か?」というもの。先の2問に関しては、すぐに返事が返ってくることがある反面、「嬉しかったこと」のほうは、「……ちょっとですか?」と考えこむひとが多く、じっと待ちながら、私は様子を見ている。正解があるわけでもない質問に、一生懸命考える様子から、いいひとだなぁと思う。

「ちょっと、なの? すごくはダメ?」
「はい。ちょっとだけ、です。三日もしたら忘れそうなくらいのことがいいですね」 「うーん。待ってね」
そう言ってお医者さんでもあるそのひとは、手帳を取り出し、
「忘れそうなことはメモしているんだよね」とページを繰りはじめた。

 過去には、考えに考え、ようやく答えたあと、トイレに中座し、「あの、さっきの答え、変更してもいいですか?」と言われたこともあった。
取材の帰りの電車の中で、同行していたカメラマンさんから、自分がしている質問をされ、私自身が答えられず、「なるほど時間がかかるなぁ」と思ったものだった。

 さて。滝口悠生さんの『高架線』は、西武池袋線の池袋に近い駅から徒歩5分の、おんぼろアパートの住人だった人たちの話だ。
「かたばみ荘」といい、築50年は経っている。台所と六畳の板の間、それにトイレと風呂がくっついて、家賃3万円。都内なのに格安なのは、老朽化の上に、不動産屋の仲介はナシ。住人が出ていくときに、次の住人を紹介するシステムになっている。さらに部屋のクリーニングも、鍵の付け替えもしないというもの。

 部屋は全部で4室。作中に登場するのは、二階の手前の部屋に住んできた新井田千一、片川三郎、片川の幼なじみの七見歩と妻の七見奈緒子、峠栄太郎、峠が常連だった喫茶店で働く木下目見といった人物たち。リレー形式ふうに、その部屋に暮らした期間に起きたことを語りだす。

 読んでいくうちに慣れていくのだが、最初の語りだしがヘンなのだ。
「新井田千一です。」と話し出す。お笑い芸人で、「ヒロシです。」という、あれが思い浮かぶ。だれに話しているのか?
その後も「七見歩です。」というふうに始まるから、スタイルなのだと納得していくわけだけど、しゃべりかけていた相手がわかるのはラスト近くで、「ああ、そういうことか」と全容がわかる仕掛けは、ちょっとミステリーっぽい。だからといって事件が起きたりするわけではない。途中に「三郎」が失踪したりするけれど。

 片川三郎は、バンドマン。髪を腰あたりまで伸ばしたドラマーで、大学を中退し、実家の親とは半ば勘当状態で、バンドに見切りをつけ、調理師学校に通い、居酒屋チェーン店に就職するんだけど、上司である店長がブラック体質で、ある日、職場とは反対方向の電車に乗ってしまう。七見をはじめ、まわりの友達が、三郎のことを心配して探そうとするのだけど……。

 いいなぁと思ったのは、あんまりしゃべんないし、最初は、風体からしてよくわかんない男だった三郎が、七見たちを通して、ひと付き合いの下手だけど、いいやつなんだと印象が変わってくる。「かたばみ荘」で三郎が七見に、レンコンのきんぴらを振舞うシーンがある。
ゴマ油で唐辛子を炒め、レンコンを入れる。調味料は砂糖、酒、醤油。簡単なレシピだが、ポイントは、レンコンを水にさらしておく。その際に酢を少し加える。そうするとシャキッして、いい香りがするんだよね、と三郎が七見に説明する。
料理が好きだとわかるし、失踪後に三郎が発見される際の暮らしぶりにもつながり、些細だけど、いい場面だ。今度レンコンを買って、つくってみよう。そのとき「ちょっとうれしいことは何?」と聞かれたら、レンコンのきんぴらがおいしく作れたことと答えるかもしれない。

 ところで、この小説で、自分だったらと思いながら読んだのは、七見が三郎からお金を貸してくれと頼まれるくだり。失踪する遥か前、レンコン料理をしたあとの場面だ。
三郎は、バンドマンをやめ、料理人になろうと考えていた。調理師学校に通うためにバイトをし、お金を貯めたものの、あと50万円足りない。だから貸してほしいという。
三郎に呼び出されたときから七見は、借金の話だろうとは予感していた。預金を下ろせば、と七見は考える。

 お金の相談は、するのもされるのも悩ましいことだ。親しい友人だと、それがもとで関係が途切れることにもなりかねない。七見が判断の尺度としたのは、「将来そのことによって自分が後悔をしたくない」という一点だった。

 50万円と聞いて、たぶん戻ってはこないだろうと思案する七見。借金を申し込むときの振る舞いにはそのひとがよく表われ出るものだ。頭を下げるわけでもない。たんたんと事情を話す、三郎。聞いている、七見。二人の関係が見えてくるあたりがいい。

 そういえば、「かたばみ荘」の独特な賃貸契約方式は、ひとを映し出す鏡みたいなものだ。住人が次の住人を紹介する。必ずしも相互が密な知り合いというわけでもない、こんなのでいいんだろうかというシステムなのだが、これがよく機能している。まあ、小説の中のフィクションだからというのもあるだろうけど。

 知り合いの知り合いというケースもあって、そういうとき、対面した相手の印象を信頼するというのは、保証会社をつけることが一般的になりつつある世相に対するアンチにもなっていて、面白い。なぜ大家がそういうリスクをともなう契約形態を取ったのか。事情はラストで明らかにされる。体温をもった関係が息づいている、なかなかいいシーンだ。突き詰めれば、人と人の関係は目の前にいるこの人間をどう思うのか。そのことを描いた小説だ。

Profile/プロフィール

「ウラカタ伝」 waniwanio.hatenadiary.com

ブログのインタビュー連載 「葬儀屋、はじめました。」

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朝山 実(あさやま・じつ) 1956年、兵庫県 生まれ。地質調査員、書店員などを経て 、ライターとなる。「居 場所探し」をテーマに人物ルポやインタビューを数多く手がける。著書に『イッセー尾形の人生コーチング』(日経BP 社)、映画のノベライズ『パッチギ!』(キネマ旬報 社) 、アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年』(KADOKAWA)、『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社)など


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