日記ブログ

還暦

人生60年なった。朝起きて何か感慨があるのかと少しは思っていたが、しかし、何にも変わらない。いつものように、起きて、60歳か、、と思いつつ顔を洗い、歯を磨き、ランニングウェアーを出して走る準備をする。走る前に水を飲んでストレッチを始める。 いつもの変わらない朝。それでいいのだと思う。携帯を見たら子供たちからお祝いのメッセージが入っていた。返信はありがとうそして、これから走るよって送った。 今日はナイキランニングクラブにはガイドランがあるのですが8マイルランを選んだ。およそ13キロ弱だ。いつものコーチベネットの声がイヤフォーンを通して聞こえる。 走ることを決めたことをまずは称賛してくれる。そして、ウォームアップランを始める。13キロ走りきることに集中する。 走りながら60年を振り返ろうかと思ったけど、まだ、振り返るには早過ぎる。 ただの通過点。そんな気がする。まだまだこれからも学ぶことが多いし、体力もこうして維持していきたい。人生いつ終わるかわからないけど、でも、60歳は通過点。きっと70歳もこうした通過点のような気がする。 僕の場合と書いた方がいいと思うが、節目は大事だ、しかし、だからといって取り立てて大きなことではない。 日々、連続している中でその時、その時、その瞬間を大事に生きているか。 そのことの方が大事なように思う。その連続が人生だし、それができなくなったら終わりなんだろうと思う。 訪問ありがとう。 奥野安彦

体・ランニング

走るということ。

ほぼ、週5から6回、2年間走っています。もう直ぐ5,000キロになります。2018年8月くらいから一念発起をしてまずはお腹周りに増えすぎた体重を落とすことを目指しました。それとずっ30代から頭の隅にあったフルマラソン42.195キロの完走を目標にしました。 当時の体重は81キロでした。 走り始めて、続けることが肝心。 僕はわりと決めると続けることができる性格?だと自分では思っております。(30代の後半、ランニングを日課にしていた時期もありました)そんな性格なのか2018年8月から走りじめて、それは毎日毎日走りました。月に200キロ、300キロと増えて行きました。 3ヶ月くらいしたらこれはオーバーワークで足を痛めました。 仕事で東京に1週間ほどいる間も毎日走っていました。 母の自宅(東陽町)から皇居のお堀を1周して戻ってくるとおよそ21キロになります。木場ー門前仲町ー茅場町ー日本橋ー大手町ー東京ーそして、お堀に到着。町並みがどんどん変わっていくのも面白い。 その朝も快調に走りました。しかし、走り終わって右足のかかとに違和感、痛みが走ったのです。右足のかかとの筋肉に炎症が起きたようです。翌朝は右足を地面につけるだけで痛みが走ってこれは無理しすぎたと思いました。 その傷んだ足をひきづりながらタイ・チェンマイの自宅に帰りました。ネットで見ると足裏の筋肉の炎症が回復するまでに1月はかかると書いていました。 しかし、2週間もすると走りたい気持ちでムズムズしてきました。チェンマイ は乾季の11月。早朝の気温が10度台、爽やかで絶好のランニング日和。これはちょっと走ってみたいと10キロほど走りました。 やはり無理したらダメですね。走り終わる頃、足に痛みが走りました。これはダメだと観念。1月間しっかりと休むことにしました。その間、足裏の筋肉や他の筋肉を鍛えることに専念。 この続きは明日。